LOGIN宙に浮いた石片が、ゆっくりとミリスの周囲を巡っていた。
一つや二つじゃない。
地面に散らばっていた無数の瓦礫が、見えない力に引き寄せられるように宙へ浮かび上がっている。
その中心で、ミリスだけが静かだった。
銀色の瞳が、黑鉄の怪物を真っ直ぐ見据えている。
「――クラドは、私が守る」
小さな声だった。けれど次の瞬間。
――ズドォォォンッ‼
洞窟の空気そのものが弾け飛んだ。
「――ッ⁉」
石が飛んだんじゃあない。
消えた。そう錯覚するほどの速度だった。
超高速で射出された礫が、グラン・モルドの頭部へ直撃する。
黑鉄の外殻が火花を散らし、巨体が大きく仰け反った。
轟音が遅れて洞窟を揺らす。
「……は?」
思わず声が漏れた。
さっきまで俺が価値を付与して、ようやく武器になっていた石ころを。
ミリスはただ“飛ばしただけ”で、ここまでの威力を出している。
グラン・モルドが深く唸った。
赤熱した眼光が、ゆっくりとミリスを捉える。
本能で理解したのだ。
自分を傷付けたのが誰なのか。
次の瞬間。黑鉄の巨体が地面を砕きながら突進した。
「ミリス!」
その時、ミリスの身体がふわりと浮いた。
重力を失ったように軽く跳び上がり、突進を紙一重で回避した。
直後。彼女の背後に浮かんでいた岩塊が、一斉に消える。
――否。
速すぎて見えなかった。そして――。
――ドガガガガガガガァァァッ‼
砲撃じみた衝撃音が連続で炸裂した。
数百キロはありそうな岩塊が、信じられない速度でグラン・モルドへ叩き込まれていた。
黑鉄の外殻が軋む。
亀裂が走る。
初めてだった。あの怪物が押されている。
グラン・モルドが咆哮した。
怒り狂った尾が、暴風のように薙ぎ払われる。
ミリスは空中で身体を翻し、静かに片手を向けた。
空気が沈む。
次の瞬間、轟音と共に、グラン・モルドの尾が地面へ叩き落とされた。
まるで見えない巨人に押し潰されたように、岩盤が砕け散る。
「……重力を……操作しているのか……?」
思考が追い付かない。
こんなデタラメな能力、見たことも聞いたこともない。
しかしミリスは無表情のまま、さらに腕を振る。
洞窟の端に転がっていた巨大な岩塊が、ゆっくりと浮き上がる。
人間なんか簡単に押しつぶせそうな質量だ。
それをミリスは、当然のように持ち上げる。
そして――。
「――落ちろ」
岩塊が、真上からグラン・モルドへ叩き落とされた。
――ズガァァァァン‼
洞窟が揺れる。
岩盤が砕ける。
土煙が一気に噴き上がった。
普通なら、原形すら残らない。そのはずなのに。
煙の奥で、赤熱した双眸が再び灯った。
「嘘だろ……」
思わず声が漏れる。
黑鉄の怪物は、止まっていなかった。
全身に岩塊が突き刺さっている。
外殻には亀裂すら走っている。
にもかかわらず、グラン・モルドは前進を止めなかった。
しかも――速いッ!
巨体が岩盤を砕く。その度に、洞窟全体が悲鳴を上げる。
直線的だったはずの突進軌道が、途中で僅かに変わる。
「……なっ」
避ける先を、読んでいる。
ミリスが咄嗟に浮遊しながら後方へ跳ぶ。
しかし。グラン・モルドは最初から、そこへ爪を振り抜いていた。
「――ッ!」
黑鉄の爪が、ミリスの肩を掠める。
赤い飛沫が宙へ散った。
その小柄な身体が岩壁へ叩き付けられ、鈍い衝突音が洞窟に響く。
「ミリス‼」
喉が裂けそうな声が出た。
崩れた岩壁の向こうで、ミリスが膝を突いたまま顔を上げる。
銀色の瞳は、まだ死んでいない。
「……平気」
「どう見ても平気じゃねぇだろ」
思わず吐き捨てた。
肩口から血が流れている。
呼吸も浅い。
それでもミリスは、黑鉄の怪物から視線を逸らさなかった。
グラン・モルドが低く唸る。
次の瞬間。黒鉄の巨体が、岩盤を砕きながら突っ込んできた。
「来るッ!」
ミリスの身体がふわりと浮く。
俺も転がるように横へ飛び退いた。
――ドゴォォォォンッ‼
さっきまで立っていた場所が吹き飛んだ。
砕けた岩片が雨のように降り注ぐ。
「っ、ぐ……!」
肺が焼ける。
脚もまともに動いていない。
けれど、止まったら終わる。
グラン・モルドが、振り向きざまに尾を薙ぎ払う。
「クラド!」
ミリスの声。
その直後、身体が軽くなった。
重力を緩められたのだと理解した瞬間、俺の身体は尾の上を滑るように飛び越えていた。
暴風みたいな衝撃が真下を通り抜ける。
「っぶねぇ……」
着地と同時に膝が軋んだ。
その横を、ミリスが岩壁へ向けて滑るように移動する。
浮かんだ岩塊が射出されるが、グラン・モルドは前脚で強引に弾き飛ばした。
最初より対応が速い。
学習してやがる。
黒鉄の怪物が、再び大きく踏み込んだ。
狙いはミリス。
「避けろ‼」
ミリスが後方へ跳ぶ。
その直後。グラン・モルドの巨体が、洞窟中央の
――ギャリィィィンッ‼
耳障りな音が響く。
青白い結晶が砕け、無数の破片が周囲へ飛び散った。
「……?」
違和感があった。
グラン・モルドがぶつかった黒鉄の外殻。
そこだけが、斬れていた。
砕けたんじゃあない。
抉れたんでもない。
鋭い刃物で斬り裂いたように、黒鉄の装甲が切り開かれていた。
視線が、足元へ落ちる。
転がってきた星涙石の破片だ。
細長く砕けたその断面は、異様なほど鋭く尖っていた。
「……この形状――」
刹那。頭の奥で、昔読んだ資料の一文が弾けた。
題名は忘れたが、商会の倉庫整理をしていた時、暇潰しに読んだ古い本。その一節。
――世界で最も鋭い刃は、金属ではなく“石”から作られる。と。
そして名の知れた英雄は、その“石”を使った剣と共に乱世を駆け抜けた。と。
当然、実物なんて見たこともない。
でも、資料に描かれた刃の断面は輝いていた。
目の前の、星涙石の破片のように。儚げな模様が浮かんでいた。
「まさか……!」
視線を上げる。
グラン・モルドの黑鉄の外殻には、明らかな切断痕が残っていた。
「ミリス」
呼ぶと、ミリスがすぐ振り向いた。まだ呼吸が荒い。
それでも目だけは、まだ戦っていた。
「……あの結晶、動かせるか?」
ミリスが星涙石の結晶へ視線を向ける。
一瞬だけ黙り込んで、首を小さく横へ振った。
「……大きいのは、無理」
無理もない。ミリスだって、既に心身共に限界が来ているんだ。
さっきみたいに、巨大な岩塊を浮かせるほどの体力は残っちゃいない。
だが、
「でも……小さいのなら、飛ばせる」
銀色の瞳が、真っ直ぐ俺を見据えた。
「本当か?」
「……ミリス、頑張る」
口元が僅かに吊り上がった。
我ながら無茶な作戦だと思う。
成功する保証なんて、どこにもない。
それでもミリスは、こんな作戦を信じてくれた。
「じゃあ約束だ」
言いながら、俺は麻袋から干し肉を引き抜いた。
《携帯干し肉:8G》
「俺のために無理して死ぬなんてのは、ナシだからな。ミリス」
「クラドも。死んだらダメ」
「ああ――」
価値を書き換える。
保存食じゃない。
限界まで身体を動かすための、戦場用の活力剤へ。
《携帯干し肉:8G →
頭蓋の奥で激痛が弾けた。
鼻の奥が熱い。血が垂れる。
それでも構わず、干し肉を半分に千切って、大きい方をミリスに渡した。
「二人でここを出て、ヴェルカさんに一言文句言ってやろうぜ」
ミリスが小さく頷いて、干し肉へ噛みついた。
俺も干し肉を口に放り込んで立ち上がった。
――熱い。喉を通った瞬間、焼けた鉄のような熱が胃へ落ちる。
直後、前進の血流が一気に加速した。
「っ、ぁ……!」
視界が明滅する。
折れた肋が治ったわけじゃない。頭痛も消えていない。
それでも、鈍っていた身体が無理矢理叩き起こされる。
まだ動ける。いや、動くしかなかった。
背後で、グラン・モルドが吼える。
黑鉄の巨体が、地面を砕きながら突っ込んでくる。
「ミリス! そっちは頼んだぞ!」
「――うん!」
返事と同時に、ミリスは両手をグラン・モルドへ向けた。
グラン・モルドの前脚が一瞬だけ沈み込む。
その隙に、ミリスが横へ跳んだ。
――ドゴォォンッ!
直後、尾が岸壁を粉砕する。
砕けた岩片が弾丸のように飛び散った。
まずい。真正面からやり合っていたら、一瞬で潰される。
俺は転がるように瓦礫の陰に飛び込み、近くに落ちていた石ころを掴んだ。
《ただの石:0G》
深く息を吸い込み、意識を集中させた。
――爆ぜろ。砕けろ。吹き飛ばせ。
「【価格操作】」
《ただの石:0G → 爆裂鉱石:180G》
「ッぐ……!」
視界が揺れる。脳を内側から削られるような痛みが走る。
だが、まだ倒れるワケには行かない。
ミリスが時間を稼いでくれている。限界の身体に鞭を打って。
俺だけが、止まるワケには行かない。
「砕けろォォォッ!」
叫ぶと同時に、爆裂鉱石を全力で投げ抜いた。
石は綺麗な軌跡を描きながら、星涙石の結晶の前で爆ぜた。
――ドガァァァァァンッ!
蒼白い閃光が洞窟を染めた。
巨大な結晶が内側から弾け、無数の破片が宙へ舞い上がる。
「今だ! ミリス!」
言葉はそれだけで十分だった。
ミリスの銀色の瞳が、空中の破片を捉える。
次の瞬間。蒼白い結晶片が一直線に加速した。
――ギィンッ!
今までとは違う音だった。
黑鉄の外壁が斬り裂かれる。
噴き出たのは、火花じゃない。
鮮血だった。
外殻の隙間から、赤黒い液体が溢れ出す。
だがしかし――。
「……っ。ダメ、これでも止まらない……」
血を撒き散らしながら、それでもグラン・モルドは止まらない。
蒼白い破片が外殻に突き刺さる度、黑鉄の鱗が削れ、裂け、赤黒い血肉が覗く。
それでも怪物は止まらない。
むしろ怒り狂ったように、さらに踏み込んでくる。
「ッ、はぁ……!」
ミリスの呼吸が乱れる。
浮かんでいた破片の軌道も、少しずつ鈍くなっていた。
限界が近い。干し肉で無理矢理繋いだ身体も、もう長くは持たない。
俺も同じだった。
頭が痛い。視界の端が黒く滲む。
それでも、奴の額で脈打つ赤い光だけはハッキリと見えていた。
「……あれは」
グラン・モルドの額。
砕けた外殻の奥で、赤い結晶のようなものが脈打っている。
心臓のように、規則的に明滅している。
――いや、本当に心臓なのかは分からない。
急所かどうかだって怪しい。
ただ。それが見えたのと同時に、明らかに奴の動きが変わった。
唸るような声を上げ、首を上下左右に振り乱す。
そうだ。奴だって生き物だ。
だったらどこか、守ろうとする場所がある。
「……賭けるしかない」
もうそれしかなかった。それ以上のことは、俺もミリスも身体が持たない。
やけくそ混じりに、リュックをひっくり返して中身をぶちまけた。探る暇はない。
案の定というか、笑っちゃうほどのガラクタばかり。
その中で、ふと折りたたみ式のシャベルが見えた。
「ミリス。合図を出したら、俺を奴の額に放ってくれ」
言ってから、自分でも頭がおかしいと思った。
シャベル一本で、あの怪物に突っ込むなど、正気の作戦じゃない。
下手をすれば、そのまま死ぬ。
他に方法が思いつかなかった。
――それでも。
約束を破るつもりはない。
「……分かった」
ミリスは清々しいほどに、首を縦に振ってくれた。
普通は止めるだろうが、その時の微笑みが妙に嬉しかった。
だから俺も、笑って頷き返す。
「【価格操作】――」
《折りたたみ式シャベル:120G →
見た目は変わらない。くすんだ金属製の、どこにでもある折りたたみ式のシャベルだ。
なのに、分かる。
鱗を剥ぎ取る道具。そんな確信が、手の中に宿っている。
「行くぞ、ミリス!」
「――うんっ!」
返事と同時に、空気が沈んだ。
次の瞬間、俺の体が一気に前へ弾き飛ばされた。
「――ッ!」
景色が流れる。
空気が向こう側から押し返してくる。
速すぎる。
息が潰れる。傷付いた肘が軋み、全身に鈍い激痛が走る。
「ぁ……!」
ミリスの重力操作で、無理矢理射出されているんだ。
まともな飛び方じゃあない。手足が千切れそうだった。
いや。ここでビビったら終わりだ。
真正面で、グラン・モルドが咆哮する。
だがこの時ばかりは、不思議と怖くなかった。
「オオオオオッ!」
額へ目掛けて、シャベルを突き出す。
鋼鉄の壁にぶち当たったような衝撃が腕を貫いた。
全身に伝播する痛みを、歯を食い縛って耐えながら、シャベルを鱗に食い込ませる。
奥歯が砕けた。顎の骨から悲鳴があがる。
その痛みを、力に変える――ッ!
「剥がぁぁ……れろォォォッ!」
全体重を乗せ、全身の痛みを乗せ、無理矢理こじ開けた。
ベギィッ! と嫌な音が響く。
黑鉄の外殻が、大きく捲れ上がった。
その奥で、赤黒い光が脈打つ。
「――――」
同時に、頭の奥で何かが焼き切れた。
口から血が噴き出す。
《解体用採掘鋤:1200G → 崩壊》
シャベルが砕け散った。
身体が吹き飛び、視界がぐるりと回転した。
やがて空間が歪み、端からゆっくりと黒が覆い尽くしていく。
それでも俺は灯火のような力を振り絞って、目を見開いていた。
僅かに残った視界の隙間から、星涙石の破片が加速する様を見届けた。
「クラドの頑張り、無駄にはしない!」
蒼白い閃光が、露出した赤黒い脈動に突き刺さる。
その度に真紅の光片が弾け飛ぶ。
砕けた星涙石。
飛び散る赤い輝き。
滲む視界の中では、その境界すらもう曖昧だった。
まるで、夜空へ無数の流星が降り注いでいるみたいだった。
星が砕けて。
星が泣いている。
そんな光景だった。
クラドたちがミナスガルドを旅立って、三日後の真夜中。「くそ……アルベリオの役立たずめ……!」 ミザールは脇腹を押さえ、人気のない路地を急いでいた。 息を吸うたびに喉がひりつき、慣れない石畳に何度も足を取られる。 こんな惨めな思いをするのも、全てはあの男がしくじったせいだ。 角を曲がったところで足を止め、背後を窺う。 追ってくる足音はない。 それでもしばらく耳を澄ませてから、ようやく詰めていた息を吐いた。 街さえ出れば、どうにでもなる。 金を握らせれば動く連中など、いくらでもいるのだ。 乱れた襟元を直し、歩みを再開する。その時だった。「あら。こんな夜更けに大急ぎで、どこへ行くのかしら?」 鈴を転がすような声が、ミザールの足を止めた。 声の方を見やると、その先に少女が立っていた。 街灯の下、全身を包む黒い装束に、細い金の線が浮かんでいる。 白磁のヴェネチアンマスクで素顔は窺えない。 だが少女の手に握られた短剣が、猫の目のように爛々と輝いていた。「悪いなお嬢さん、ボクは見ての通り急いでいるんだ。そこを退いてもらおうか」「残念だけれど、それは無理な相談ですわ。ミザール様」 少女はマスク越しにミザールへ笑いかけ、一枚のカードを投げ放つ。 カードは足元の石畳を滑り、靴先に当たって止まる。「……なんの真似だ」 しかし少女は答えない。 ミザールは彼女を警戒しながら腰を屈め、カードを拾い上げた。 自分の名に続く細かな文字に目を走らせた途端、眉がぴくりと跳ねる。「まずはたしか、人身売買だったかしら」 指先が強張った。 少女はカードを見るまでもなく、そこに記された罪状をすらすらと読み上げていく。 海賊との取引も、口封じを命じた相手も、ミザールが金を使って揉み消してきたはずのことばかり――。「そして、商船襲撃の手引き……救いようもない悪党ね、あなた」「あの異国人共の船はアルベリオが勝手にやったことだ! ボクは何も――」「あら? まだどこの船とも申し上げておりませんけれど?」 少女の指摘に、ミザールは口を噤んだ。 仮面の奥から向けられる眼差しに耐えかね、手の中のカードを握り潰す。 ――この女は知っている。 どこまで調べたのかは分からないが、生かして帰すわけにはいかなかった
その日の夜、宿屋で俺たちを待っていたのは、目を疑う光景だった。「おう、遅かったじゃねえか」 目の前にはヴェルカ。しかしその隣に、酒瓶がない。 床に転がっていた空瓶もなく、酒の臭いすらしない。「ヴェルカ、だよね?」「まさか入る部屋を間違えたのでは」「合ってるわ。こんな時に飲んでられるかよ」 ヴェルカは顎でベッドを示し、座るよう促してきた。 三人でベッドの縁に腰を下ろす。向かいの椅子に座るヴェルカを見て、俺は口を開いた。「それで、話ってなんだ?」 ヴェルカはすぐには答えなかった。 秒針の音がやけに大きく聞こえる。「ヴェルカ殿?」「クラド、ミリス。それと、カグヤ。……すまなかった」 深々と頭を下げられ、俺は思わず息を呑んだ。「ヴェルカ? どうしたんだよ、急に」「お前ら、アルベリオが競売会場で言ったこと、覚えてるか?」 真っ先に口を開いたのはカグヤだった。「利用されている、たしかそう言っていたような」「それだ。そのことで、お前らに謝らなきゃなんねえ」 顔を上げたヴェルカは、俺たちを見据えた。「アイツの言ってたことは間違っちゃいねえ。私は確かに、お前らを利用していた」「……利用?」 ミリスが目を丸くして、俺とヴェルカの顔を交互に見ている。 隣ではカグヤも眉を寄せていた。「それは……どういう意味ですか?」「言葉通りだ。私には私の目的があって、そのためにお前らに目を付けた」 俺たちに教えてくれたことも、ここまで一緒に旅をしてきたことも、その目的のためだったのか。 けれど、思い浮かんだのは、あのベリアルを前にした時の姿だった。 ヴェルカは自分の命を削ってまで、俺たちを立たせてくれた。 あれも全部、自分のためだったとは思えない。「……何のために?」 ヴェルカが少しだけ目を見開く。「怒らねえのか?」「理由も聞かずに怒れるかよ。アンタには、命だって助けてもらってるんだ」「……ったく」 ヴェルカは困ったように笑い、椅子の背にもたれた。「じゃあ、少し昔話に付き合ってくれ」 俺たちが黙って待っていると、やがてヴェルカは話し始めた。「八年前、私は《夜明けの牙》ってギルドにいた。当時はそこそこ名の知れたギルドでな。私にも、仲間って呼べる奴らがいた」 仲間、と口にした時だけ、声が少し和ら
「……ド!」 声がする。「……ラド!」 誰かが俺を呼んでいる。 そういえば、あれから俺はどうなったんだ? ベリアルを斬って、奴の身体が崩れて、それから――。「クラド!」「クラド殿! 起きてください!」 瞼を持ち上げた途端、全身が一斉に痛みを訴えた。 肩も腰も頭も痛い。むしろ、痛くない場所を探した方が早そうだ。「痛ァッ!」 反射的に起き上がろうとした俺の額を、ヴェルカが掴んで地面へ押し戻した。「バカ、そんなすぐ起きたら傷が開くだろうが」「だったらもう少し優しく戻せ!」「いっけね」 舌を出すヴェルカへ文句を言う間もなく、今度はミリスが胸へ飛び込んできた。「クラド! よかった、生きてた……!」「ミ、ミリス……肋、肋が……」 聞こえていない。 ベリアルを倒した直後に仲間の抱擁で死ぬのだけは、さすがに勘弁してほしい。「こらこらミリス殿。その辺にしておかないと」「だって、だって……」「このままじゃクラドが死ぬぞ?」 ヴェルカが笑う。 つい数秒前、自分が俺の頭を地面へ押し戻したことは忘れたらしい。 ……いや、ちょっと待て。「俺って確か、落ちてなかったか?」 そこまで思い出したところで、カグヤがミリスを引き剥がしながら振り返った。「あの後、ヴェルカ殿が受け止めてくれたんですよ」「ったく、最後まで世話の焼ける弟子だよ、お前は」 そう言うくせに、ヴェルカの口元は少しだけ緩んでいた。「……ヴェルカ」「あ?」「ありがとう」「き、気持ち悪ぃこと言うなよ。鳥肌立つだろ」「おい! 人が素直に礼言ってんだから受け取れよ!」「いらねえよ。現金で寄越せ」「結局金かよ!」 まったく。「それよりクラド殿、身体は本当に大丈夫ですか?」「全然大丈夫じゃない。たぶん骨、何本かいってる」「……治療していただきましょう」 そこでようやく、俺も大きく息を吐いた。 改めて周囲を見る。 夜市だった場所は見る影もない。 石畳は抉れ、建物は崩れ、《価格暴落》に呑まれた一帯には瓦礫すら残っていなかった。 灰だけが、夜風に舞っている。 そして――ベリアルはいない。「……本当に、倒したんだよな」「ええ。気配は完全に消えてい
「俺たちの価値は、俺たちが決めるッ!」 叫び声が、灰色の街に響き渡った。 その声が消えてからも、しばらく誰も動かなかった。 瓦礫の山。崩れ落ちた家々。価値を奪われ、砂と灰だけになった石畳。 その中心に立つベリアルは、まるで巨大な城壁のように俺たちを見下ろしている。『ほぉ。ならば見せてみよ、貴様らが決めた価値とやらを』 対して俺たちは……正直、限界に近かった。 それを見透かしたように、ベリアルの口角が僅かに上がる。 だが、その口が開くより早く――。「だが今の貴様らのような雑魚羽虫にできることなど、たかが知れている」 ヴェルカが芝居がかった声で、その続きを先回りした。「……なんて、いつまでも言われっぱなしは癪だからよォ! だから見せてやる!」 驚き振り返る暇もなく、ヴェルカは強引にミリスとカグヤのうなじを掴んだ。 二人が目を丸くするのも構わず、その手に力を込める。「この能力、後がキツいから嫌いなんだが……。贅沢は言ってられねえ!」 ヴェルカの手が、二人のうなじを掴んだまま強く光る。「ちょ、ちょっとヴェルカさん⁉」「ヴェルカ、何をするつもり?」「こっから先は、未来の私に“ツケ”てやる。ただそれだけだ」 その言葉と同時に、光が二人の身体を包み込んだ。「……え?」 ミリスが自分の手を見つめる。 さっきまで震えていた指には力が戻り、カグヤの傷口から流れていた血も止まっていた。「これ……」「体力と魔力をまとめて前借りした」 ヴェルカは二人から手を離すと、肩をぐるりと回した。「未来の私からなァ」「未来から……?」 カグヤが不思議そうな顔で問う。「未来から。だから後払いだ」 ヴェルカは笑った。「当然利子付き。最悪だろ?」 軽口とは裏腹に、その額にはじっとりと汗が浮かんでいる。 俺は思わずヴェルカを振り返る。「おい、それって……」「なに心配すんな」 ヴェルカがニヤリと笑った。「師匠ってのは、弟子より先にぶっ倒れるくらいで丁度いいんだよ」「そんな理屈、聞いたことないぞ」「今私が作った」 そう言って、ヴェルカは俺の胸を軽く叩いた。「クラド。テメェもだ」「……俺も?」「当たり前だろ。まさか二人だけ元気にして、
巨体が大きく揺れ、そのまま石畳へ崩れ落ちた。 ゆっくりと土煙が晴れる。 焦げた胸板。 焼き潰れた右目。 額にはヴェルカの蹴り跡が深々と刻まれていた。 それでも、ベリアルは起き上がろうとはせず、ただ自分の掌を見ていた。『ぐ……。何故、だ……』 低く唸るような声が響く。『何故、我に攻撃が届いた』 その問いは俺たちではなく、自分自身に向けられているようだった。『我に奪えぬ価値はない。我の前では全てが無価値となるはず』 大きな掌――その中央に空いた風穴を見つめ、ゆっくりと握る。 触れたものの価値を奪う掌に、初めて付けられた傷なのだろう。 その姿を見て、ヴェルカが鼻で笑った。「どうやら神様ってのも、案外頭は固ェみたいだな」 神を名乗るには、随分と間抜けな顔だ――そう言わんばかりに肩を竦める。 ミリスが俺とベリアルを見比べる。「結局、どうして攻撃が当たったの?」「私にも、全く見当が付きません」 屋根から降り立ったカグヤが静かに首を振った。「私の符術は、触れられた瞬間に崩壊しました。それなのに、クラド殿の攻撃だけが通った理由は……」「そこなんだ」 俺は二人へ視線を向けながら言った。「考え方が、逆だったんだよ」「逆?」 ミリスが瞬きを繰り返す。「じゃあ逆に聞くが、お前ら、音を殴ったことはあるか?」 その横から、ヴェルカが割って入ってきた。「……え?」「光でもいい。掴んだことは?」 あまりに突飛な問いに、二人は揃って黙り込む。「そんなのできるわけ――」 言いかけたミリスの横で、カグヤが眉を寄せた。「というより、それと今回の戦いに何の関係が……」「ああ、普通なら関係ねえ」 ヴェルカはニヤリと笑う。「けど今回は、その"普通"が答えなんだよ」 俺も頷いた。「俺の能力も、ベリアルの能力も、本質は同じだ」 掌を見つめながら続ける。「触れたものの価値を扱う能力。ただ、俺は価値を変えられて、あいつは奪う。それだけの違いだ」「つまり……同じ条件でしか発動しない?」 カグヤが静かに口にする。「そういうこと」 するとミリスが、まだ納得できない様子で首を傾げた。「でもカグヤの攻撃だって、光みたいなものだったよ?」「いえ……厳密には違います
急ぎ足で競売会会場――オペラ座を出ると、露店の連なった夜市が広がっていた。 ほんの数分前まで笑い声で満ちていたはずの夜市は、もうそこにはない。 果物を抱えた商人は荷車を放り出し、家族連れは悲鳴を上げる子供の手を引いて逃げる。 行き交う人々が我先にと押し合い、倒れた誰かを踏み越えて逃げて行く。 その中心に、夜空を背負うように立つのは、三メートルを超える怪物。 ベリアルは逃げ惑う群衆など眼中にない様子で、一軒の露店を掴み上げた。 次の瞬間、その屋台は砂のように崩れ始めた。 木材も、布も、並べられていた雑貨も。 触れられた全てが色を失い、灰となって夜風へ溶けていく。『脆い』 ベリアルは掌に残った灰を見つめ、退屈そうに呟いた。『価値無き器は、触れるだけで崩れる』 言葉と同時に近くの露店を蹴散らす。 その風圧一つで、周囲のテントが舞い上がり、小さな瓦礫が飛び荒む。「皆さん、下がって!」 《硬》 カグヤが間髪入れずに札を切り、障壁を展開した。 それでも勢いがついた瓦礫は、その障壁すら突き破って襲いかかってくる。『先刻の人の子か。何をしに此処へ来た』「そんなの決まってるだろ! オマエを止めに来たんだ!」「街を壊すなんて、そんなの許さない!」『戯言を。貴様らのような無価値なデク人形に、我は倒せぬ』 ベリアルは俺たちを見下しながら、一歩踏み出す。 地面が大きく揺れ、思わず転びそうになる。『だがこの我に立ち向かう勇気、賞賛に値する。価値なき勇気だがな』「図体だけじゃなく、態度もデカいとはなァ。ハッキリ言って、私はアンタが嫌いだぜ」 ヴェルカは鼻で笑い、スカートの裾を豪快に引き裂いた。 そして先程のお返しと言わんばかりに右脚を踏み出し、ベリアルの顔を睨み上げた。「テメェにも教えてやるよ。人間サマの本気がどれくらい恐ろしいモノかをよォ!」『雑兵ほどよく吠えるものよ。まずは貴様から血祭りに上げてくれる』 巨大な拳が、ゆっくりと持ち上がる。「来るぞ!」 俺が叫ぶより早く、ベリアルの拳が大地に叩き付けられた。 轟音。 |石畳《いし







