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第7話 ただクラドを守るために

last update publish date: 2026-07-02 18:28:38

 宙に浮いた石片が、ゆっくりとミリスの周囲を巡っていた。

 一つや二つじゃない。

 地面に散らばっていた無数の瓦礫が、見えない力に引き寄せられるように宙へ浮かび上がっている。

 その中心で、ミリスだけが静かだった。

 銀色の瞳が、黑鉄の怪物を真っ直ぐ見据えている。

「――クラドは、私が守る」

 小さな声だった。けれど次の瞬間。

 ――ズドォォォンッ‼

 洞窟の空気そのものが弾け飛んだ。

「――ッ⁉」

 石が飛んだんじゃあない。

 消えた。そう錯覚するほどの速度だった。

 超高速で射出された礫が、グラン・モルドの頭部へ直撃する。

 黑鉄の外殻が火花を散らし、巨体が大きく仰け反った。

 轟音が遅れて洞窟を揺らす。

「……は?」

 思わず声が漏れた。

 さっきまで俺が価値を付与して、ようやく武器になっていた石ころを。

 ミリスはただ“飛ばしただけ”で、ここまでの威力を出している。

 グラン・モルドが深く唸った。

 赤熱した眼光が、ゆっくりとミリスを捉える。

 本能で理解したのだ。

 自分を傷付けたのが誰なのか。

 次の瞬間。黑鉄の巨体が地面を砕きながら突進した。

「ミリス!」

 その時、ミリスの身体がふわりと浮いた。

 重力を失ったように軽く跳び上がり、突進を紙一重で回避した。

 直後。彼女の背後に浮かんでいた岩塊が、一斉に消える。

 ――否。

 速すぎて見えなかった。そして――。

 ――ドガガガガガガガァァァッ‼

 砲撃じみた衝撃音が連続で炸裂した。

 数百キロはありそうな岩塊が、信じられない速度でグラン・モルドへ叩き込まれていた。

 黑鉄の外殻が軋む。

 亀裂が走る。

 初めてだった。あの怪物が押されている。

 グラン・モルドが咆哮した。

 怒り狂った尾が、暴風のように薙ぎ払われる。

 ミリスは空中で身体を翻し、静かに片手を向けた。

 空気が沈む。

 次の瞬間、轟音と共に、グラン・モルドの尾が地面へ叩き落とされた。

 まるで見えない巨人に押し潰されたように、岩盤が砕け散る。

「……重力を……操作しているのか……?」

 思考が追い付かない。

 こんなデタラメな能力、見たことも聞いたこともない。

 しかしミリスは無表情のまま、さらに腕を振る。

 洞窟の端に転がっていた巨大な岩塊が、ゆっくりと浮き上がる。

 人間なんか簡単に押しつぶせそうな質量だ。

 それをミリスは、当然のように持ち上げる。

 そして――。

「――落ちろ」

 岩塊が、真上からグラン・モルドへ叩き落とされた。

 ――ズガァァァァン‼

 洞窟が揺れる。

 岩盤が砕ける。

 土煙が一気に噴き上がった。

 普通なら、原形すら残らない。そのはずなのに。

 煙の奥で、赤熱した双眸が再び灯った。

「嘘だろ……」

 思わず声が漏れる。

 黑鉄の怪物は、止まっていなかった。

 全身に岩塊が突き刺さっている。

 外殻には亀裂すら走っている。

 にもかかわらず、グラン・モルドは前進を止めなかった。

 しかも――速いッ!

 巨体が岩盤を砕く。その度に、洞窟全体が悲鳴を上げる。

 直線的だったはずの突進軌道が、途中で僅かに変わる。

「……なっ」

 避ける先を、読んでいる。

 ミリスが咄嗟に浮遊しながら後方へ跳ぶ。

 しかし。グラン・モルドは最初から、そこへ爪を振り抜いていた。

「――ッ!」

 黑鉄の爪が、ミリスの肩を掠める。

 赤い飛沫が宙へ散った。

 その小柄な身体が岩壁へ叩き付けられ、鈍い衝突音が洞窟に響く。

「ミリス‼」

 喉が裂けそうな声が出た。

 崩れた岩壁の向こうで、ミリスが膝を突いたまま顔を上げる。

 銀色の瞳は、まだ死んでいない。

「……平気」

「どう見ても平気じゃねぇだろ」

 思わず吐き捨てた。

 肩口から血が流れている。

 呼吸も浅い。

 それでもミリスは、黑鉄の怪物から視線を逸らさなかった。

 グラン・モルドが低く唸る。

 次の瞬間。黒鉄の巨体が、岩盤を砕きながら突っ込んできた。

「来るッ!」

 ミリスの身体がふわりと浮く。

 俺も転がるように横へ飛び退いた。

 ――ドゴォォォォンッ‼

 さっきまで立っていた場所が吹き飛んだ。

 砕けた岩片が雨のように降り注ぐ。

「っ、ぐ……!」

 肺が焼ける。

 脚もまともに動いていない。

 けれど、止まったら終わる。

 グラン・モルドが、振り向きざまに尾を薙ぎ払う。

「クラド!」

 ミリスの声。

 その直後、身体が軽くなった。

 重力を緩められたのだと理解した瞬間、俺の身体は尾の上を滑るように飛び越えていた。

 暴風みたいな衝撃が真下を通り抜ける。

「っぶねぇ……」

 着地と同時に膝が軋んだ。

 その横を、ミリスが岩壁へ向けて滑るように移動する。

 浮かんだ岩塊が射出されるが、グラン・モルドは前脚で強引に弾き飛ばした。

 最初より対応が速い。

 学習してやがる。

 黒鉄の怪物が、再び大きく踏み込んだ。

 狙いはミリス。

「避けろ‼」

 ミリスが後方へ跳ぶ。

 その直後。グラン・モルドの巨体が、洞窟中央の星涙石せいるいせきへ激突した。

 ――ギャリィィィンッ‼

 耳障りな音が響く。

 青白い結晶が砕け、無数の破片が周囲へ飛び散った。

「……?」

 違和感があった。

 グラン・モルドがぶつかった黒鉄の外殻。

 そこだけが、斬れていた。

 砕けたんじゃあない。

 抉れたんでもない。

 鋭い刃物で斬り裂いたように、黒鉄の装甲が切り開かれていた。

 視線が、足元へ落ちる。

 転がってきた星涙石の破片だ。

 細長く砕けたその断面は、異様なほど鋭く尖っていた。

「……この形状――」

 刹那。頭の奥で、昔読んだ資料の一文が弾けた。

 題名は忘れたが、商会の倉庫整理をしていた時、暇潰しに読んだ古い本。その一節。

 ――世界で最も鋭い刃は、金属ではなく“石”から作られる。と。

 そして名の知れた英雄は、その“石”を使った剣と共に乱世を駆け抜けた。と。

 当然、実物なんて見たこともない。

 でも、資料に描かれた刃の断面は輝いていた。

 目の前の、星涙石の破片のように。儚げな模様が浮かんでいた。

「まさか……!」

 視線を上げる。

 グラン・モルドの黑鉄の外殻には、明らかな切断痕が残っていた。

「ミリス」

 呼ぶと、ミリスがすぐ振り向いた。まだ呼吸が荒い。

 それでも目だけは、まだ戦っていた。

「……あの結晶、動かせるか?」

 ミリスが星涙石の結晶へ視線を向ける。

 一瞬だけ黙り込んで、首を小さく横へ振った。

「……大きいのは、無理」

 無理もない。ミリスだって、既に心身共に限界が来ているんだ。

 さっきみたいに、巨大な岩塊を浮かせるほどの体力は残っちゃいない。

 だが、

「でも……小さいのなら、飛ばせる」

 銀色の瞳が、真っ直ぐ俺を見据えた。

「本当か?」

「……ミリス、頑張る」

 口元が僅かに吊り上がった。

 我ながら無茶な作戦だと思う。

 成功する保証なんて、どこにもない。

 それでもミリスは、こんな作戦を信じてくれた。

「じゃあ約束だ」

 言いながら、俺は麻袋から干し肉を引き抜いた。

 《携帯干し肉:8G》

「俺のために無理して死ぬなんてのは、ナシだからな。ミリス」

「クラドも。死んだらダメ」

「ああ――」

 価値を書き換える。

 保存食じゃない。

 限界まで身体を動かすための、戦場用の活力剤へ。

 《携帯干し肉:8G → 活性かっせい魔獣食まじゅうしょく:150G》

 頭蓋の奥で激痛が弾けた。

 鼻の奥が熱い。血が垂れる。

 それでも構わず、干し肉を半分に千切って、大きい方をミリスに渡した。

「二人でここを出て、ヴェルカさんに一言文句言ってやろうぜ」

 ミリスが小さく頷いて、干し肉へ噛みついた。

 俺も干し肉を口に放り込んで立ち上がった。

 ――熱い。喉を通った瞬間、焼けた鉄のような熱が胃へ落ちる。

 直後、前進の血流が一気に加速した。

「っ、ぁ……!」

 視界が明滅する。

 折れた肋が治ったわけじゃない。頭痛も消えていない。

 それでも、鈍っていた身体が無理矢理叩き起こされる。

 まだ動ける。いや、動くしかなかった。

 背後で、グラン・モルドが吼える。

 黑鉄の巨体が、地面を砕きながら突っ込んでくる。

「ミリス! そっちは頼んだぞ!」

「――うん!」

 返事と同時に、ミリスは両手をグラン・モルドへ向けた。

 グラン・モルドの前脚が一瞬だけ沈み込む。

 その隙に、ミリスが横へ跳んだ。

 ――ドゴォォンッ!

 直後、尾が岸壁を粉砕する。

 砕けた岩片が弾丸のように飛び散った。

 まずい。真正面からやり合っていたら、一瞬で潰される。

 俺は転がるように瓦礫の陰に飛び込み、近くに落ちていた石ころを掴んだ。

 《ただの石:0G》

 深く息を吸い込み、意識を集中させた。

 ――爆ぜろ。砕けろ。吹き飛ばせ。

「【価格操作】」

 《ただの石:0G → 爆裂鉱石:180G》

「ッぐ……!」

 視界が揺れる。脳を内側から削られるような痛みが走る。

 だが、まだ倒れるワケには行かない。

 ミリスが時間を稼いでくれている。限界の身体に鞭を打って。

 俺だけが、止まるワケには行かない。

「砕けろォォォッ!」

 叫ぶと同時に、爆裂鉱石を全力で投げ抜いた。

 石は綺麗な軌跡を描きながら、星涙石の結晶の前で爆ぜた。

 ――ドガァァァァァンッ!

 蒼白い閃光が洞窟を染めた。

 巨大な結晶が内側から弾け、無数の破片が宙へ舞い上がる。

「今だ! ミリス!」

 言葉はそれだけで十分だった。

 ミリスの銀色の瞳が、空中の破片を捉える。

 次の瞬間。蒼白い結晶片が一直線に加速した。

 ――ギィンッ!

 今までとは違う音だった。

 黑鉄の外壁が斬り裂かれる。

 噴き出たのは、火花じゃない。

 鮮血だった。

 外殻の隙間から、赤黒い液体が溢れ出す。

 だがしかし――。

「……っ。ダメ、これでも止まらない……」

 血を撒き散らしながら、それでもグラン・モルドは止まらない。

 蒼白い破片が外殻に突き刺さる度、黑鉄の鱗が削れ、裂け、赤黒い血肉が覗く。

 それでも怪物は止まらない。

 むしろ怒り狂ったように、さらに踏み込んでくる。

「ッ、はぁ……!」

 ミリスの呼吸が乱れる。

 浮かんでいた破片の軌道も、少しずつ鈍くなっていた。

 限界が近い。干し肉で無理矢理繋いだ身体も、もう長くは持たない。

 俺も同じだった。

 頭が痛い。視界の端が黒く滲む。

 それでも、奴の額で脈打つ赤い光だけはハッキリと見えていた。

「……あれは」

 グラン・モルドの額。

 砕けた外殻の奥で、赤い結晶のようなものが脈打っている。

 心臓のように、規則的に明滅している。

 ――いや、本当に心臓なのかは分からない。

 急所かどうかだって怪しい。

 ただ。それが見えたのと同時に、明らかに奴の動きが変わった。

 唸るような声を上げ、首を上下左右に振り乱す。

 そうだ。奴だって生き物だ。

 だったらどこか、守ろうとする場所がある。

「……賭けるしかない」

 もうそれしかなかった。それ以上のことは、俺もミリスも身体が持たない。

 やけくそ混じりに、リュックをひっくり返して中身をぶちまけた。探る暇はない。

 案の定というか、笑っちゃうほどのガラクタばかり。

 その中で、ふと折りたたみ式のシャベルが見えた。

「ミリス。合図を出したら、俺を奴の額に放ってくれ」

 言ってから、自分でも頭がおかしいと思った。

 シャベル一本で、あの怪物に突っ込むなど、正気の作戦じゃない。

 下手をすれば、そのまま死ぬ。

 他に方法が思いつかなかった。

 ――それでも。

 約束を破るつもりはない。

「……分かった」

 ミリスは清々しいほどに、首を縦に振ってくれた。

 普通は止めるだろうが、その時の微笑みが妙に嬉しかった。

 だから俺も、笑って頷き返す。

「【価格操作】――」

 《折りたたみ式シャベル:120G → 解体用かいたいよう採掘鋤さいくつすき:1200G》

 見た目は変わらない。くすんだ金属製の、どこにでもある折りたたみ式のシャベルだ。

 なのに、分かる。

 鱗を剥ぎ取る道具。そんな確信が、手の中に宿っている。

「行くぞ、ミリス!」

「――うんっ!」

 返事と同時に、空気が沈んだ。

 次の瞬間、俺の体が一気に前へ弾き飛ばされた。

「――ッ!」

 景色が流れる。

 空気が向こう側から押し返してくる。

 速すぎる。

 息が潰れる。傷付いた肘が軋み、全身に鈍い激痛が走る。

「ぁ……!」

 ミリスの重力操作で、無理矢理射出されているんだ。

 まともな飛び方じゃあない。手足が千切れそうだった。

 いや。ここでビビったら終わりだ。

 真正面で、グラン・モルドが咆哮する。

 だがこの時ばかりは、不思議と怖くなかった。

「オオオオオッ!」

 額へ目掛けて、シャベルを突き出す。

 鋼鉄の壁にぶち当たったような衝撃が腕を貫いた。

 全身に伝播する痛みを、歯を食い縛って耐えながら、シャベルを鱗に食い込ませる。

 奥歯が砕けた。顎の骨から悲鳴があがる。

 その痛みを、力に変える――ッ!

「剥がぁぁ……れろォォォッ!」

 全体重を乗せ、全身の痛みを乗せ、無理矢理こじ開けた。

 ベギィッ! と嫌な音が響く。

 黑鉄の外殻が、大きく捲れ上がった。

 その奥で、赤黒い光が脈打つ。

「――――」

 同時に、頭の奥で何かが焼き切れた。

 口から血が噴き出す。

 《解体用採掘鋤:1200G → 崩壊》

 シャベルが砕け散った。

 身体が吹き飛び、視界がぐるりと回転した。

 やがて空間が歪み、端からゆっくりと黒が覆い尽くしていく。

 それでも俺は灯火のような力を振り絞って、目を見開いていた。

 僅かに残った視界の隙間から、星涙石の破片が加速する様を見届けた。

「クラドの頑張り、無駄にはしない!」

 蒼白い閃光が、露出した赤黒い脈動に突き刺さる。

 その度に真紅の光片が弾け飛ぶ。

 砕けた星涙石。

 飛び散る赤い輝き。

 滲む視界の中では、その境界すらもう曖昧だった。

 まるで、夜空へ無数の流星が降り注いでいるみたいだった。

 星が砕けて。

 星が泣いている。

 そんな光景だった。

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